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ホーチミンの歴史を学ぼう!

ホーチミンの歴史を学ぼう!
今のホーチミンシティのある一帯には、もともと現在のカンボジアの主な民族であるクメール人が住んでおり、クメール王国の影響下にある地域でした。 17世紀にベトナムの内戦からこの地に逃げ出して来たベトナム人難民に、当時のクメール王が定住を許可して以降、大量のベトナム人が流入し、ベトナム人の定住者が増大しました。

当時、クメール王国の弱体化でそれを阻むこともできないまま、当地は徐々にベトナム人の土地として定着するようになり、ベトナム中部を支配していたフエ王朝の支配下に入っていきます。

その後、1858年に起こったフエ王朝とフランスとの仏越戦争敗退で、1887年にはベトナムはフランスの植民地となり、当時のベトナムにラオス、カンボジアを加え、フエを都としたフランス領インドシナ連邦が成立します。その頃には当地はサイゴンと呼ばれ、サイゴン港の開港で植民地貿易の拡大とともに急速に発展していきました。このフランスの統治下にあった時代、サイゴンはフランスから多くの影響を受け、「東洋のパリ」とか「極東の真珠」と形容されるコロニアル文化の華が開いたのでした。今なお残る当時の古典的な欧風建造物も、当時に数多く建てられたものです。

第2次世界大戦を挟み、一時は日本軍がインドシナに進駐していましたが、大戦終結後には日本軍は撤退し、ベトナム共産党のリーダーであったホーチミンがハノイでベトナム民主共和国の独立宣言をしましたが、再びフランスによってベトナム南部を制圧され、その後独立を求めた戦争が長期化します。1954年、フランス軍の敗北によるジュネーブ協定で、北緯17度線を軍事境界線としてベトナムは北と南に分断され、北はハノイ、南はサイゴンを首都とする2つの国が成立します。

その後、実質的に撤退したフランスに代わり、アメリカがベトナムを「東南アジアの自由主義の砦」として捉え、南ベトナム政府に介入してきたのでした。1960年に南ベトナムの解放と南北ベトナムの統一を目指し、サイゴンで南ベトナム解放民族戦線が生まれ、北ベトナムをバックボーンにしたゲリラ戦でアメリカを背後にした南ベトナム政府軍を圧倒する成果を挙げだすと、アメリカは北ベトナムに対する爆撃を開始すると共に、本格的に軍事介入して戦争は次第に泥沼化しだしたのです。

南ベトナム各地では解放戦線が一斉に蜂起し、アメリカの大掛かりで近代的な兵器にゲリラ戦で対抗し、戦果は拮抗していました。この間のアメリカの膨大な量の爆弾投下と化学兵器の使用に対して、世界の世論の非難や反戦運動の高まりもあり、1968年に北爆を中止、その後に軍を撤退しました。同年、解放戦線は南ベトナム臨時革命政府の樹立をしますが、その後もアメリカは旧南ベトナム政府に対して支援を続け、サイゴンもなお戦火に晒されます。しかし北ベトナムの攻勢もあって劣勢は否めず、1975年にはサイゴンが陥落して30年の長期戦争が終結し、翌年には南北統一選挙が行われてベトナム社会主義共和国という統一国家が成立したのです。

その後、旧政権の首都であったサイゴンは、共産党の指導者でベトナムの父として人々から親しまれていたホーチミンの名を由来にし、新たにホーチミンシティと呼ばれるようになりました。しかし旧名の「サイゴン」という呼び名はベトナム人の間では今でも普通に使われており、都会的で華やかなものを表現する場合などにも「サイゴン風」といった形容詞的な使われ方をしています。フランス統治時代の歴史的な建造物と近代的な高層ビルが混在するこの街は、1986年に改革されたドイモイと呼ばれる経済や外交の大きな刷新政策により、ベトナム随一の市場経済都市としてますます発展を続けています。

ホーチミン観光info.

ホーチミンシティは1年中暖かい熱帯気候の都市で、南シナ海に面しているロケーションから、フランス統治時代には海洋貿易で発達し、ベトナム統一後にはベトナム第1の商業都市になりました。また、フランス時代の影響も色濃く残った独特の文化を持つ都市で、ベトナム北部や中部の人々とは少し違い、南国らしい開放的な性格の人々が多く暮らす街です。

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